幕末の三大ニュースをあげるとしたら…
間違いなく入ることになる「桜田門外の変」
この事件、当の本人にとってはあまり面白くはないであろう
主人公について
幕府の大老であり、名君として知られた15代彦根藩主の井伊直弼。
初代は徳川家康の創業を助けた四天王のひとりで、武田の最強騎馬
軍団を引き継いだ赤備えの井伊直政。
長い徳川の治世では、譜代最強にして、常に一目置かれてきた名門。
そんな彼が浪士に白昼暗殺されることになるこの事件は、その
インパクトにおいても、体制への影響においても、司馬さん曰く、
幕末から維新へのターニングポイントであったとのこと。
「…斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られた
ことによって果たした。」
「…この事件のどの死者にも、歴史は犬死をさせていない。」
維新後、勝者側(薩長)の歴史上では、残念ながら評価されること
のない立場であったであろう直弼の大きな銅像を、なぜか偶然にも
横浜で発見。


横浜と直弼???
歴史をかじった程度の知識では、後世の我々にとって、暗殺される
為に教科書に載っている感のある井伊直弼が、、、
縁もゆかりもなさそうな大都会の横浜に鎮座している現実、、、
没後50年にして、彦根藩有志により建立された銅像。
暗殺され、一般的な評価も決して高くはない直弼が、世界に開けた
今の横浜の発展の礎を築いたというまぎれもない事実。


お膝元の彦根だけではなく、横浜にも彼の銅像があるという現実に
なぜか少し救われたような気にもなる…
目先のことではない、五十年、百年の単位で分かること。
「百万人といえども我行かん」
直弼のこういう気概を見習いたい。。。