つい先日、少しめずらしいタイプの本にめぐり合った。
みんなとてもよく知っている会社の創業者が書いたものではあるけれど、
どうもほとんど市販されていないらしく、もちろん出版社も聞いたことがない。。
経緯はともかく、とても印象に残ったフレーズというか、この企業家にして
とても重要なファクターであったであろう言葉に「ポエジー(詩感)」という
表現が出てきた。
この競争社会の、生き馬の目を抜く戦いを強いられる企業間競争の熾烈な戦い
に身を投じている人間にして、その経営を語った本の中で、ポエジーの重要性
を全社員に説いているとのこと。

全く関係ないようではあるけれど、、なぜか思い出す「功山寺挙兵」のシーン…
******(前略)*******
「高杉晋作の挙兵」
として維新史を大旋回させることになるこのクーデターも、伊藤俊輔をのぞくほか、
かつての同志のすべてが賛同しなかった。
歴史は天才の出現によって旋回するとすれば、この場合の晋作はまさにそうであった。
かれの両眼だけが、未来の風景を見ていた。
いま進行中の政治状況という山河も、晋作の眼光を通してみれば、山県狂介らの目で
みる平凡な風景とはまるでちがっていた。晋作は、この風景の弱点を見ぬき、河を
渡ればかならず敵陣がくずれるとみていた。が、かれは自分の頭脳の映写幕に映って
いる彼だけの特殊な風景を、凡庸な状況感受能力しかもっていない山県狂介以下の
頭脳群に口頭で説明することができなかった。
(行動で示すあるのみ)
と晋作がおもったことは、悲痛であった。なぜならば、行動とは伊藤俊輔がひきいる
力士隊三十人だけで挙兵することであり、三十人で全藩と戦うことであった。
その前途は死あるのみであった。が劣弱な風景想像能力しかもたない同志たちに、
「政治風景というのは、こう押せばこう変わるのだ」
ということを示すには、実物をもって示すほかなかった。
政治状況とは、刻々変化する天秤である。つねに変化し、つねに平衡を得ている。
いまは幕軍の圧力と藩内俗論党の勢力をもって平衡を得ていた。山県らはそれを
過大評価した。が、晋作はそれを、
— 幻の平衡である。
とみていた。暴発して突きくずせば、その風景の魔性が暴露する、とみていた。
天秤がわずかながら晋作へ傾く。傾けば、風景が一変する。一変すれば山県ら
凡庸な頭脳群でも、
— ああ、そうか。
と、にわかに気づき、晋作に加担すべく殺到するであろう。晋作は、そう見ぬいていた。
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…ポエジーが蓄積され、それがある時点に達したときに爆発し、具体的な姿・形となって
あらわれてくる。その姿・形をとらえるのが、いうなれば「時代の先取り」であると…


昭和の企業家と幕末の英雄、何の関係もない二人の本に出てくる一節も、受ける側次第
では、何か同じことの重要性を諭されているようにも思えてくる。。