ときどき…ほんとうに稀に、しいて言えば一年に一度あるかないかくらいの
間隔で言葉にできない悲しい思いを感じるときがある。
どんなときに感じるか、最近分かったことながら、自分の場合それはたいてい
直接にしろ、間接にしろ人の行動によって、それもほとんどはあるひとつの
事柄に起因しているらしいということに気が付いた。
「責任」ごく普通によくつかわれるみんな知ってる耳慣れた言葉。
政治家には政治家の、経営者には経営者の、社会人には社会人の、人には人の…
それこそありとあらゆる立場やポジションによって何らかの責任ってやつはある
もんで、それがあって世間や社会は存在すべきなんだろう。
で人はその自分の負うべき責任ってやつを自分なりに考え、与えられ、それを
果たすことによってのみ、周囲や世間から信用されいっぱしの、ひとかどの
人物になるんだろう。その負うべき責任の大きさ、重さ、広さなんかがいわゆる
人の器と呼ばれるようなものなんだろう。
お互い真剣に仕事をしていると、決まって順風満帆ではない、何か問題が起こったとき、
緊急事態のときなんかに、時として対峙する人の器がいやおうなく見えてくる瞬間がある。
この瞬間が仕事をしていて一番うれしいときでもあり、その反面言葉にできない悲しい瞬間
になることもある。
悲しい思いになったとき、そんなもんさと思う半面、かなうものなら…って考えたり。
人生の終わりごろ何人くらいの戦友と笑って昔話ができるのかそんな先のことをふと考え
させられた秋の夕暮れ。