こどもびいる専門店

こどもびいるは、小さなお子様でも安心な完全ノンアルコールの清涼飲料水です

HISTORY|こどもびいる誕生物語

こどもびいる誕生物語

空前の大旋風を巻き起こし、日本の清涼飲料業界に新しく「ビール様清涼飲料」という新市場を形成した“こどもびいる”。

飲み物に新しい飲用スタイルを創造したこの商品は、今でこそ海外にも輸出され、多くの人に認知されるブランドとなりましたが、その開発は、関係者たちの多くの困難を乗り越える様々なドラマの歴史でもありました。

もくじ

第1章 序章 :登場人物紹介
第2章 夢のはじまり :下町屋こどもビール時代
第3章 憧れのネーミング :商標登録・名称検討
第4章 泡立ちという難関 :開発・製造・後味改善
第5章 ここ一番のとっておきという希少性 :パッケージ・デザイン
第6章 独創的な販売方針と差別化 :清涼飲料としては非常に稀な販売制度構築
第7章 新しい時代に向かって :ご当地・オリジナル展開へ

第1章:【序 章】

“こどもびいる”の誕生は、ある一人の脱サラ飲食店オーナーのアイデアを、この物語に出てくる開発関係者たちが、開発から販売までの各ステージにおいて、それぞれの立場からそれぞれの役割を担い、「こどもびいる」に勝手に夢を感じた若者たちの熱い思いから始まりました。

登場人物紹介

浅 羽 福岡市博多区美野島にあるもんじゃ焼店「下町屋」のオーナーでこどもびいるの発案者。
八智代 名古屋出身の自称デザイナー、こどもびいるの開発時は東京にて清掃業のアルバイトに従事。
友 田 佐賀県小城市にある清涼飲料メーカー友桝飲料の若社長(開発当時は27歳)。
井 上 友桝飲料にて商品開発を担当、こどもびいるの開発で一躍全国デビュー。友田とは同級生。
長 谷 友桝飲料入社1年生の時に、こどもびいるが空前の大ヒットに。そのまま販売責任者へ。友田とは前職が同期入社組。

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第2章:【夢のはじまり】

浅羽が「こどもびいる」を発案したきっかけは、お店にジュースを納品する取引業者から、はじめてビール瓶風の容器に入った炭酸飲料「ガラナ」を紹介されたときでした。当時浅羽は脱サラをして、福岡では珍しいもんじゃ焼きの専門店を開いたばかりのころで、その性格的な要素も多分にあるとはいうものの、自分のお店では面白い、他ではおいていない、ここだけでしか飲めないようなドリンクをよく集めていた頃でした。

ただ、「ガラナ」を見た瞬間、いままで面白いものを集めてお店で提供するということまでだった考えが一気にふっとび、自分でラベルを剥がして、オリジナルの名称でお店でだしてお客を驚かせてやろうという浅羽の遊び心に火が付きました。

さっそく自称デザイナーの八智代に電話して・・・

夢のはじまり

・・・そもそも浅羽がもんじゃ焼きを始めるきっかけは、脱サラ後の世界一周旅行の時に、たまたま船で乗り合わせたおもろいおじさんがもんじゃ焼き屋で、日本に帰ったらそのまま名古屋にあるおじさんのもんじゃ焼き屋に修行に入ったことがきっかけであり、そこで同じくアルバイトしていた八智代と出会い知り合いに・・・

浅羽のイメージを伝えて八智代がデザインし、お店のプリンタで出力したラベルが出来ました。今度は「ガラナ」のラベルをアルバイトみんなで剥がし、それにラベルを貼ってお店で提供するという学園祭の出し物をみんなでわいわい作るという感じで、不完全ながらも初代「こどもビール」が誕生しました。

浅羽の読みどおり、この初代「こどもビール」はお店の看板商品となり、毎夜毎夜アルバイトみんなとラベルを剥ぐ悪戦苦闘の日々が続くことになったのです。。

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第3章:【憧れのネーミング】

その日友田はいつものように朝一番に会社に出社し、誰もいない事務所の中で会社宛に届いているメールを確認していました。そこに飛び込んできた「こどもビール」という文字、送信者は初めて見る名前で福岡在住でお店をしているとのこと。

友田はこの時27歳。3年前に代々続く実家の清涼飲料メーカーに戻り、翌年に社長就任。朝から晩まで仕事づくめで、趣味はたまの休みにする歴史シュミレーションゲームというちょっと変わった自称青年実業家でした。社長就任後にはじめたお客様独自のオリジナル飲料の小ロット生産(1本からでも)という社内体制の構築を急いでいた時期でしたが、まだまだ実績も少なく事業化のめどが立っていないそんな時期でした。

友田にはもともとブランドというものに強い思いがありました。ソニーの「ウォークマン」、アサヒの「スーパードライ」だれが聞いてもピンとくる、そんなブランド力のある商品を事業としてやってみたいと。この日「こどもビール」という文字を見た瞬間このネーミングにその力があることを空気を吸うように自然に感じることができました。名前を聞いただけで、その商品を飲んでいる飲用シーンまで明確にビジュアルとして想像できた商品は初めてでした。

浅羽とはその後何度も打合せを重ね、本格的に製造メーカーが製造することになる以上「ビール」というアルコールと誤認を受けてしまう可能性がある名称は避けて、それでもちゃんと意味が分かるし、逆にしゃれと思ってみんな楽しんでもらえるという商品の遊び心が伝わるベストなネーミングとして「こどもびいる」が決定しました。

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第4章:【泡立ちという難関】

炭酸飲料の製造において最も重要な管理点は、如何に安定的に瓶詰するかということです。どういうことかというと炭酸飲料はガスを含んでいるので充填する際にフォーミングといって瓶内での泡立ちが発生し、ちゃんと瓶内に適量の液を充填できなくなってしまうことがあるのです。そのため、製造技術者たちは日夜その現象が起きないような機器整備を心掛け、また充填する液はできるだけ泡立ちの少ない製品を作るように心がけます。

そうなんです、、、「こどもびいる」はその業界の常識とは正反対の商品作りをする必要性があったのです。

開発に関して井上は悩みました。友田からの指示は泡立ちはビールのように、でも喉越しはべたつかずあっさりと。さらに生産現場のスタッフからは今以上泡立つ商品では生産効率が半分以下になりますのでやめてくださいとの要望が。これまでの開発スタイルでは到底解決できない問題が目の前に立ちはだかりました。

井上はもともと食品系学科の大学院を卒業し、佐賀に帰ってきてからは公務員を目指して勉強をしていたところ、たまたま家の近くに大学の勉強を活かせる職種の募集があったのを見てふらっと面接に来たことが友田との出会いでした。同い年でお互い食品系の学科を専攻していたこともあり、入社2年目からは商品開発など重要ポジションを任されるまでになっていました。

泡立ちという難関

こどもびいるの開発は井上にとっては友桝での初の試練となりました。結果は大成功。問題のすべてを解決し、新しい技術革新を生む成果を上げることにつながりました。

井上が取り組んだこと、それはこどもびいるの飲用シーンを想定し、食事と一緒に飲まれるべき商品である以上、その際に最も美味しく飲んでもらえる味作りをするという基本に立ち返ったことでした。泡をこまかくビール以上に立てさせることも可能でしたが、その際にどうしても泡の成分独特のベタベタ感が口にのこります。また、泡を立てない場合、こんどはこどもびいるというビールみたいな雰囲気を期待している方をがっかりさせてしまいます。

結局ビールみたいに泡立ちはするが、後味を悪くし、食事の邪魔となるまでには泡立てないというバランスを重視し商品化されることになりました。

さらに商品化後しばらくたってからではありましたが、製造技術スタッフの創意工夫により、こどもびいるの泡立ちであっても、充填時にフォーミングを起こさないというこれまで無しえなかった技術革新を生む成果にまでつながりました。

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第5章:【ここ一番のとっておきという希少性】

浅羽がお店をしながら常日頃考えていること。それはせっかく気の合う仲間と外食にきて、楽しくお酒を飲んでという雰囲気を楽しむ場所にいるのに、普通の飲食店にはアルコール以外の清涼飲料はウーロン茶かコーラしかないよね。せっかくの場所でいつでもどこでも飲めるドリンクだとなんかもったいないし、お酒を飲めない飲まない人にも何か新しい驚きや、楽しみがあってもいいよね。子供のとき、外食した時のメロンソーダとかパフェとか普通家で飲めないジュースなんか頼んでもらったときのうれしい思い出ってみんな持ってるはずだよね。

こどもびいるがそんなみんなの記憶に残るような商品になったらなあ・・・

浅羽はこどもびいるの開発に前後して、二人の子供(息子と娘)のうち娘とは事情があり別々に住むことになっていた。幼くして別れ別れになる兄妹のことを思い、またこどもびいるを記憶に残るようなとっておきの商品としたい希望からラベルには実名で兄(なみき)と妹(すみれ)をキャラクターとして八智代に描いてほしいと伝え、それに犬の(万次郎)が加わり、八智代独特のタッチによる新「こどもびいる」のデザインが完成した。

この物語に出てくる関係者はみんな多かれ少なかれ同じことがあてはまるが、八智代も「こどもびいる」でデザイナーという新しい世界にデビューすることになった。その後の活躍は割愛するが、友桝の商品は多くを八智代が手掛け、その中から「グラスボトルデザイン 審査員特別賞(佐藤卓)」という現代を代表する著名なデザイナーからも評価を受けるに至っている。

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第6章:【独創的な販売方針と差別化】

浅羽との商品コンセプトの打合せ後、友田は悩んでいた。どうやったら「こどもびいる」がここ一番のとっておきのアイテムとなるんだろうかと。友田もこどもびいるにはそんな記憶に残る商品に育ってほしいという思いが強くある半面、今の友桝が有している販売組織、体制ではその実現は到底不可能なことのように思えてならなかった。

また、販売当初はいろんな問屋の担当者にできたばかりの「こどもびいる」を持っていき、商品説明をして回っても全くといっていいほど手ごたえがなく、ちょっと高いんじゃないというような反応ばかりでほとんど売れなかった。

独創的な販売方針と差別化

そんな時期に佐賀県流通課の案内に応募し、千葉の幕張メッセで開催されるフーデックスという食品の見本市へ出展することが決まった。

場所とスペースは決していい場所とは言えなかったが、その展示会では初日で4日分の見込みで持ち込んでいたサンプルがすべてなくなり、4日間を通してブースは人だかりが途絶えることはなかった。

こどもびいるの開発関係者が一様に安堵感と達成感に包まれた瞬間だったが、友田は一人別のことを考えていた。今までどんなに商品を案内しても全く興味を示してくれなかった既存の販売先がある半面、初めて出展した展示会で初めて会う人たちばかりのこの場所では、こんなにも多くの人が商品の新規性や面白さをすんなり受け入れてくれるという現実。友田から悩みが消え、こどもびいるを「ここ一番のとっておきの商品」とする販売方針が決まった瞬間だった。

以後、こどもびいるの販売に関しては、商品の良さを本当に分かってもらえる方、考えや販売方法などの価値観を共有できる方を中心に清涼飲料ではそれまでほとんどない地域・エリアの契約店制を中心に、全国展開を進めることとなった。今では全国に地域契約店があり、海外への輸出も始まっている。

独創的な販売方針と差別化

全国に広がる大きな転機として「こどもびいる」は幸いにも多くのメディアに紹介してもらう幸運が続いた。

これも商品のブランド力によるところが大きいことは間違いないが、商品のコンセプトをしっかりもって数ある商品とこの商品が明確に差別化されていた結果であろう。

ヤフーのトピックスに掲載された際には注文が殺到し、サーバーがパンクし、その受注処理をするのに当時新人の営業スタッフであった長谷は1週間泊まり込んだという記録が残っている。

その後こどもびいるの全国展開、契約店制は、これまでの営業体制との違いや、販売体制の新たな構築など様々な問題を一つ一つクリアしながら長谷を中心に整備されいまに至っている。

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第7章:【新しい時代に向かって】

新しい時代に向かって

2010年こどもびいるは新しい展開を迎えつつある。これまで限定品として、オリジナルラベルにて商品化(岩田屋70周年記念ラベル等)することはあったが、かなり稀なケースであり、なかなかオリジナルラベルでのこどもびいるという対応はできていない状況が続いていた。

この春4月にはこどもびいるがスタジオジブリのキャラクターである「ぱんだこぱんだ」のオリジナルラベルとなってジブリショップ限定にて発売される。他にも多くの打診がきており、今後こどもびいるというブランドはいろんな形でみなさんが目にすることになっていく可能性が広がってきています・・・

ここ一番のとっておきのというコンセプトは残したままに。。。

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