さて、、今回は唐突ではあるものの、私淑する両氏について
つい先日発見された自分の中では超画期的な見解について
少し触れたいと思う。
もし仮に、多少なりともこの両氏の足跡を一方だけではなく
知っている人がいるとするならば、そもそもこの両氏が並列
に並んでいること自体において、ものすごい違和感を覚える
ものと思われる。
かく言う私自身これまで両氏を並列に並べて考えたなんて
記憶もない。
ちなみに尾崎は生前「社会への反抗・疑問」や「反支配」を
テーマにした歌を多く歌い、マスメディアからは「10代の教祖」
「若者のカリスマ」などとも呼ばれた。
一方で、安岡は戦後の自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し、
「実践的人物学」、「活きた人間学」を元に多くの政治家や財界人の
精神的指導者や御意見番の位置にあった。
安岡を信奉し、師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂、池田勇人、
佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳など多くの首相が挙げられる。
とまあウィキペディアから拝借した簡単な説明でも分かるように、
この両名に何かしら相容れるものがあろうなんてことは実を言うと
この年になるまで全くもって意識すらしてこなかった。尾崎なんて
20年以上も親しんできているにも関わらず…
尾崎は26歳の若さで夭折し、当時10代の若者たちは人生における解
を教え諭してもらうことなく唐突に世間に放たれ、群れることを
きらう尾崎のファンの若者たちはそれぞれにただ一人でその問題に
対峙した。
それから20数年…
尾崎が好きで、安岡先生に私淑する人間を見たことがない。
自分を除いてという限定つきではあるけれど。
これはきっと何かの奇形であって一般化できる普遍性はないものと
知らず知らずにそう思い込んでいた。
それがつい先日、おどろくほど身近にそんな人間を発見した。
ひとつの奇形は偶然なんかできっと発生する。ただ、その奇形が
特殊であればあるほど、それがごく狭い範囲でダブルで発生する
なんてことはあり得ない…
そうであるなら、尾崎が当時の若者に残していった問題の解らしき
ものが、きっと安岡先生の教えの中に含まれているんだろう。
「己を行う道」
このことは、これを伝えてあげられることは、20数年前のあの日から
たった一人で世間と対峙してきた多くの尾崎ファンにとって、かけがえ
のない朗報となるのかもしれない…